伝統的工芸品熊野筆とは

熊野町は四方を海抜500m前後の山々に囲まれた小さな高原盆地です。広島、呉、東広島の3つの市に囲まれるように、南北に細長い形をしています。人口は約26,000人を数える、その内1,500人が筆司という筆づくりの技術者です。また、検定試験に合格し、伝統法24条8号により伝統工芸士に認定された、筆づくりの名人が17名います。筆の原料となる動物の毛は、主に、ヤギ、馬、いたち、鹿、タヌキ、などで、ほとんどを中国や北アメリカから輸入しています。筆の軸は岡山県や島根県から仕入れており、台湾、韓国からも輸入しています。このように、熊野町には筆の原材料となるものは何一つありません。

それでは、なぜこの町に筆づくりが発達したのでしょうか?

  • 18世紀松(江戸時代の末期)ごろ、平地の少ない熊野村では農業だけでは生活が苦しいため、農閉期を利用して奈良地方から筆や墨を仕入れ、それを売りさばいていたことが、きっかけとなり、筆と熊野の結びつきが生まれました。
  • 今から約170年前になると、広島藩の工芸の推奨により、全国に筆、墨の販売先が広がり、本格的に筆づくりの技術取得を目指すことになりました。その先駆者となったのが、当時筆づくりが進んでいた、奈良や京都:有馬に派遣されたり、地元に招いた筆づくり職人に、技術を習った若い村人達でした。
  • その後、村民の熱意と努力により筆づくりの技が根付き明治5年に学校制度ができ、33年には義務教育が4年間になるなど、学校教育の中で筆が使われるようになり、生産量が大きく造花しました。第2次世界大戦後、習字教育の廃止により毛筆の生産量は落ち込んだ時期もありましたが、昭和30年頃からは画筆や化粧筆の生産も始まり、昭和50年には広島県で初めて通商産業大臣により伝統工芸品に指定を受けました。現在では、毛筆、画筆、化粧筆ののいずれも全国生産の80%を占めるまでに発展しています。

このように、熊野の筆づくりは、今もなお親から子供から孫へと引き継がれています。

伝統的工芸品熊野筆は、日本一の筆の産地広島県安芸郡熊野町で生産されております。熊野町で筆作りが始まったのは江戸時代末期の頃からです。
昭和50年に広島県で初めて通商産業大臣により伝統的工芸品に指定を受けました。
熊野筆は現在では、毛筆、画筆、化粧筆のいずれも全国生産の80%以上を占めるまでに発展しております。胎毛筆も、熊野の筆職人が赤ちゃんの髪の毛を使って作ったのが始まりだと言われております。

近年では、熊野の化粧筆がなでしこジャパン(女子サッカー日本代表)に国民栄誉賞の副賞として贈られたことなどから、熊野筆の品質の高さが更に評価されております。